正直、私は友達が多いほうではありません。
そんな中、兄貴のように慕っていた4歳年上の先輩の訃報を一昨日、知らされた。

先輩は、私が30年前の大学1年生のときから始めたサッカークラブのバイトコーチの初代の人だ。今では、そのサッカークラブを経営する幼稚園二園の園長を務めていた。

20代のころは先輩と2代目バイトコーチの3つ上のノグリン(現小〇南JY監督)、3代目バイトコーチの2つ上のハナちゃん(現鯰〇FC監督)、4代目バイトコーチの私(谷やん)の4人で、よく酒を飲んだり、旅行に行ったりした。ドーハの悲劇のときも4人でテレビを視聴し、将来の日本サッカーについて、夜遅くまで語り合った。

私は、大学卒業後はそのままサッカークラブにコーチとして就職した。先輩は大学卒業後、役場に就職し、学園の理事長のお嬢さんと結婚して、当時の経営陣と若手スタッフの意見のバランスをとってくれるボランチのような存在で、サッカークラブを温かく見守ってくれていた。

忘れもしない22年前、コーチングスタッフの飲み会の席で、当時私と組んでいて、大嫌いだったスタッフが、当時の総監督のN先生と言い合い(もちろんサッカーの話で熱くなって)となり、その場を落ち着かせようとした先輩に、言い合っていたスタッフが、いきなりビールをぶっかけた。日ごろから大嫌いだったこともなり、いくら年上でも尊敬していた先輩に非礼をはたらいたスタッフとは一緒に仕事はするのは我慢できないといって、私はチームを去った。その半年後、そのスタッフも退職したと聞いたが…

私が、その後中学校部活動やクラブチームで指導しているときにも、先輩のほうから連絡してくれたり、試合会場で声をかけてくれたりしてもらえた。

先輩も、その後役場を退職して学園の職員となり、表にはでることなく、裏方に徹して小倉南FCの発展に尽力された。

一昨年、N先生の定年退職にともない、志位幼稚園と志徳幼稚園の園長と小倉南FCコーチングアドバイザーに就任されて、これからというときに…ただ、ただ、涙がながれます。

心より、先輩のご冥福をお祈りいたします