今夏の甲子園開催を願い、明日の高野連の運営会議の前に元高校球児から署名が提出されるらしい。

当たり前だけど、選手たちに非はない。

ほとんどの大人は、中止やむ無しの考えだろう。

選手たちは、無観客の山の中の球場でやったり、7回もしくは時間制でやったりなど、レギュレーションやルールを柔軟にしてでも試合をやりたいだろう。

勝つために続けてきたわけじゃないだろう。

目標へ向かって、どれだけやってきて最後にどれだけ出しきるかの勝負だと思う。

勝負だから、負けるときもあるし、試合に出られないときもある。

人生もそうである。

今回は、その真剣勝負も経験させてもらえないかもしれない事態である。 

こんな状態だから、やらないにこしたことはない。

でも、大人は室内で銀色の球は打てて、高校生はグランドで白球は打てないことに、選手たちは納得できるだろうか?

他の競技を続けてきた高校生たちも無念の気持ちでいっぱいだろう。

多くの選手たちは、進学や就職のため、今年の夏で競技スポーツを終えるつもりだったろう。

こんな中、夏休みが縮まり、行事は中止され、学習内容と時間が増えていくのである。

彼らのことを思うと今回ばかりは、何と声をかけてあげたら良いか、今は思いつかない。

どの競技も時期やレギュレーション、ルールを工夫をして、何らかの補完的なものを取り組むことができることを期待するしかない。