遠征で、鍛えられるのは選手だけではない。

初日に1名、体調不良。

お母さん、新幹線で新大阪まで駆けつけてくれました。

遠征は、お母さんも鍛えられる。

 

最終日も体調不良者がでたので、予定をキャンセルして北九州へ。

サッカー飯は、アウトドアが基本。

帰路の途中、20年前芦屋中学校サッカー部初の大阪遠征にいったときのことを思い出しました。

帰る途中にだいちコーチが40度の熱を出した。

遠征に行く前、名前覚えてない管理職に、『遠征に行かせてください。』と願い出たら

運動経験のない校長は『泊まることに、何の意味があるんですか?』

要は、何かあった時に責任とるのが面倒くさいのだろう。

若き日のコーチは、保護者から承諾書をもらい、保険に入り、運転手を雇い、チーム名を変えて遠征を敢行。

だいちコーチが、発熱したときはクビを覚悟した。

後日、遠征に行ったことがバレて、隣町のチョー荒れた学校にとびました。

そこは、私服生徒数十人が、タ◯コを吸いながら、物を壊しまくる無法地帯。

何人もの、教師が退職や病休に追い込まれる。

1日に、10回以上非常ベルが鳴るが、もちろん誰も避難しない。

教師より、ガラス屋が稼いだ。

その中で、我がクラスにいたのが、現ギラヴァンツ北九州U15の野方監督。

サッカー部は悪の巣窟のため、誰もみたがらない。

前任者も、生徒からイジメにあって退職に追い込まれた。

男として、尊敬する故森田校長から、『遠征でも合宿でも、何をしてもいい。』

『言うこと聞かんやつは、く◯しあげてもいい。』

『俺が全て責任とるから、この子達と遊んでやってくれ。』

森田校長と闘った2年間は、20年過ぎても忘れられない時間となりました。

その後、管理職によって活動範囲が変わる部活動とは縁を切り、ひびきサッカースクールを立ち上げます。

今となっては、名前覚えてない校長に感謝です。

その方のおかけで、今遠征が思い切り出来ているのですから。

ギラヴァンツU15が活躍出来てるのも、その方のおかげですね。

名前も顔も、全く覚えていませんが…

もうすぐ、北九州に到着します。

もう、森田校長のような方はいませんが、若い指導者たちにその魂は引き継がれています。

遠征は、指導者も鍛えてくれます。

ありがとうございます。

人たらしの森田校長。